■vol.80 連動性(オートマチズム)に通じる親和性
サッカー日本代表監督だったトルシエやオシムの口にした言葉の中に
「オートマチズム(連動性)」というものがあります。
連動性とは、”味方の動きに合わせて無意識に体が動いて起こる連続的な連係”のことですが、
これはサッカー以上にフットサルで重要な意味を持ちます。
フットサルはそのプレー環境が持つ特性から
ボールを受ける立場のプレーヤーが動きを止めるとマークされやすくパスコースはなくなります。
よって攻撃する立場でパスを繋ぐためには、ボールを持たないプレーヤーが
如何にスペースやパスコースを作るために動けるかが問われることになりますが、
もちろん個々が我武者羅に動いてよいわけではありません。
「連動性」という言葉が示す基本は連係であり”パスが繋がる”状態です。
意識的に作らなければスペースの発生しないフットサルでパスを繋げるには
常に変化する状況に合わせ、プレーヤー自身が「自分の役割」を見いだせなければなりません。
そしてそれはボール位置、敵の動き以前に”味方の行動”との兼ね合いがとても重要です。
なぜなら如何に個としての身体能力や技術に優れ”やれること”の多いプレーヤーであっても
自分本位に行動を決めてはチームとしての守備や攻撃において
他の味方と位置・動き・役割が重なってしまったり、
自分が望む形でボールを受けたいあまり一定のポジションを占有し
味方の移動やスペースの発生を妨げるなどして
直接的な被害を受ける味方に留まらず”チーム”としてのプレーを殺してしまうためです。
A:「CがDへのパスを通すにはDFをひきつける囮が必要だ。オレがサイドへ開こう」
B:「これ以上CがキープすればDFが前に出てプレスを受ける。
オレが下がってパスコースを確保しよう」
C:「Bがフォローしようとしている。
前方へのパスの機会を窺いつつ逆へ移動しBが動けるスペースを作ろう」
D:「パスコースが開いた。
DFを背負っているがBが退いた後のスペースへ移動しながらパスがもらえる」
A:「Dにパスが通った。シュートパスに備えて逆サイドのオレはファーポストへ詰めよう」
B:「Dはコーナーへ追い詰められる可能性がある。近いオレが後方へフォローに入ろう」
C:「Dはコーナーへ流れていくがヒールで中央に落とすかもしれない。
Bがフォロー役で最後尾にいるならオレが中央へ駆け上がろう」
このようにプレーにおける連動性とは、すなわち「意思疎通の連鎖」です。
顔を上げ、味方の”今”に向き合い、
味方の”意思”を読み取って”自分にできること”を探し行動する、
この姿勢は普段のチーム活動に通じるものがあります。
自分からこの意義を理解し、普段からチームの歯車としての役割を探せない者、
仲間の声に耳を傾けられない者にピッチで仲間が発する「心の声」が
聞こえるはずもないのです。
意志の疎通=目には見えない絆は日々仲間との接点を絶やさぬ努力の上に成り立ち、
その間で育む”信頼”の大きさに比例します。
フットサルのプレーにおける「連動性」はチームの「親和性」に相関すると言ってよいでしょう。
◎詳しくは >> フットサル情報サイト 『 フットサルフリークス 』 [ 過去記事ランキング ]
「オートマチズム(連動性)」というものがあります。
連動性とは、”味方の動きに合わせて無意識に体が動いて起こる連続的な連係”のことですが、
これはサッカー以上にフットサルで重要な意味を持ちます。
フットサルはそのプレー環境が持つ特性から
ボールを受ける立場のプレーヤーが動きを止めるとマークされやすくパスコースはなくなります。
よって攻撃する立場でパスを繋ぐためには、ボールを持たないプレーヤーが
如何にスペースやパスコースを作るために動けるかが問われることになりますが、
もちろん個々が我武者羅に動いてよいわけではありません。
「連動性」という言葉が示す基本は連係であり”パスが繋がる”状態です。
意識的に作らなければスペースの発生しないフットサルでパスを繋げるには
常に変化する状況に合わせ、プレーヤー自身が「自分の役割」を見いだせなければなりません。
そしてそれはボール位置、敵の動き以前に”味方の行動”との兼ね合いがとても重要です。
なぜなら如何に個としての身体能力や技術に優れ”やれること”の多いプレーヤーであっても
自分本位に行動を決めてはチームとしての守備や攻撃において
他の味方と位置・動き・役割が重なってしまったり、
自分が望む形でボールを受けたいあまり一定のポジションを占有し
味方の移動やスペースの発生を妨げるなどして
直接的な被害を受ける味方に留まらず”チーム”としてのプレーを殺してしまうためです。
A:「CがDへのパスを通すにはDFをひきつける囮が必要だ。オレがサイドへ開こう」
B:「これ以上CがキープすればDFが前に出てプレスを受ける。
オレが下がってパスコースを確保しよう」
C:「Bがフォローしようとしている。
前方へのパスの機会を窺いつつ逆へ移動しBが動けるスペースを作ろう」
D:「パスコースが開いた。
DFを背負っているがBが退いた後のスペースへ移動しながらパスがもらえる」
A:「Dにパスが通った。シュートパスに備えて逆サイドのオレはファーポストへ詰めよう」
B:「Dはコーナーへ追い詰められる可能性がある。近いオレが後方へフォローに入ろう」
C:「Dはコーナーへ流れていくがヒールで中央に落とすかもしれない。
Bがフォロー役で最後尾にいるならオレが中央へ駆け上がろう」
このようにプレーにおける連動性とは、すなわち「意思疎通の連鎖」です。
顔を上げ、味方の”今”に向き合い、
味方の”意思”を読み取って”自分にできること”を探し行動する、
この姿勢は普段のチーム活動に通じるものがあります。
自分からこの意義を理解し、普段からチームの歯車としての役割を探せない者、
仲間の声に耳を傾けられない者にピッチで仲間が発する「心の声」が
聞こえるはずもないのです。
意志の疎通=目には見えない絆は日々仲間との接点を絶やさぬ努力の上に成り立ち、
その間で育む”信頼”の大きさに比例します。
フットサルのプレーにおける「連動性」はチームの「親和性」に相関すると言ってよいでしょう。
◎詳しくは >> フットサル情報サイト 『 フットサルフリークス 』 [ 過去記事ランキング ]
■vol.70 堅固なチーム作りに欠かせない「チームコンセプト」
最近では「フットサル」という言葉も多くの人に浸透し、
施設の充実に伴って確実に競技人口は増えチーム数もまた増えてきました。
これら結成される多くのチームはもちろん趣味として楽しむことを目的としたものです。
フットサルはその特徴でもあるルールで守られた安全性から
老若男女幅広い層に受け入れられてここまで成長しましたが、
それゆえに結成されるチームのメンバー構成はバラエティに富んだものが多く
「個性」だけでなく一人一人が持つ「理想」が実はバラバラであったことに
あとで気づいてしばしば大きな問題に発展します。
それは「理想」や「方向性」に対する”すれ違い”は
遅くなるほど修復しにくい特徴があるためなのですが
ここではその有効な対策として「チームコンセプト」を紹介していきます。
「チームコンセプト」とはチームみんなで共有できる「チームの在り方」であり
チームとしての活動を支える”共通意識”です。
”こう在りたい”と思う「目標」に対して「方向性」を位置付ける重要な役割を持ち
チーム結成時に掲げることで構成する人間の意識と方針の一本化、具体化が図れます。
そもそも活動を続けるうちになぜ互いの考えに”ズレ”が生じるのかを考えると
それは途中で生まれたものではなくチームメイトになったとき
既にあったと考える方が自然です。
つまり互いが持つ理想や方向性のズレを仲間となった時点では気づけず、
後に表面化したに過ぎないのです。
人は”このチームに入ろう”と決めたとき、
その活動によって得られると予想できるものに大きな期待を抱くため
その方向性のズレに後々気づいたときに大きな失望もします。
・初心者の自分も引き上げてくれるチームだと思ったのに置いてけぼりだな・・・
・女性でも安全にできるチームだと信じてたのに・・・
・てっきりみんなで県リーグ入りを目指しているのかと思った・・・
皆それぞれフットサルを始める「きっかけ」やチームに抱く「期待」、
自分としてどうありたいかという「理想」は様々です。
その細部まですべてが合致する人だけを募りチームを構成するのは困難でしょう。
しかしだからといってチームが一つになろうとする指針を掲げなければ
いくら集まったところで結束も維持もできないのです。
皆個性を持つ以上活動の中で意見の対立が起こることは必然でそれ自体が問題ではありません。
問題はそれらをチームとして乗り越えられるかどうかです。
互いがチームという括りの中で一つの大きな目標を持ち、
活動の中で問題として浮き彫りになる不確定な部分については
その都度皆ではっきり意見を主張して話し合い、
最後にはチームコンセプトに則って歩み寄ることで解決し、
意思統一と理想の具体化を重ねていく。
この繰り返しがチームメイト間の信頼を築き、堅固なチームとして成長させることになります。
フットサルの特徴でもある気軽さゆえにノリや勢いでチームを作る人は多いですが
基本が「エンジョイ志向」であれ「競技志向」であれ、
より深くより多くを得たいのであれば”結束”は必要で
より明確に「チーム色」を示すことはチーム内部だけでなく
同じ理想を持つ他のチームとの交流にも役立ち活動の幅を広げてくれることでしょう。
◎詳しくは >> フットサル情報サイト 『 フットサルフリークス 』 [ 過去記事ランキング ]
施設の充実に伴って確実に競技人口は増えチーム数もまた増えてきました。
これら結成される多くのチームはもちろん趣味として楽しむことを目的としたものです。
フットサルはその特徴でもあるルールで守られた安全性から
老若男女幅広い層に受け入れられてここまで成長しましたが、
それゆえに結成されるチームのメンバー構成はバラエティに富んだものが多く
「個性」だけでなく一人一人が持つ「理想」が実はバラバラであったことに
あとで気づいてしばしば大きな問題に発展します。
それは「理想」や「方向性」に対する”すれ違い”は
遅くなるほど修復しにくい特徴があるためなのですが
ここではその有効な対策として「チームコンセプト」を紹介していきます。
「チームコンセプト」とはチームみんなで共有できる「チームの在り方」であり
チームとしての活動を支える”共通意識”です。
”こう在りたい”と思う「目標」に対して「方向性」を位置付ける重要な役割を持ち
チーム結成時に掲げることで構成する人間の意識と方針の一本化、具体化が図れます。
そもそも活動を続けるうちになぜ互いの考えに”ズレ”が生じるのかを考えると
それは途中で生まれたものではなくチームメイトになったとき
既にあったと考える方が自然です。
つまり互いが持つ理想や方向性のズレを仲間となった時点では気づけず、
後に表面化したに過ぎないのです。
人は”このチームに入ろう”と決めたとき、
その活動によって得られると予想できるものに大きな期待を抱くため
その方向性のズレに後々気づいたときに大きな失望もします。
・初心者の自分も引き上げてくれるチームだと思ったのに置いてけぼりだな・・・
・女性でも安全にできるチームだと信じてたのに・・・
・てっきりみんなで県リーグ入りを目指しているのかと思った・・・
皆それぞれフットサルを始める「きっかけ」やチームに抱く「期待」、
自分としてどうありたいかという「理想」は様々です。
その細部まですべてが合致する人だけを募りチームを構成するのは困難でしょう。
しかしだからといってチームが一つになろうとする指針を掲げなければ
いくら集まったところで結束も維持もできないのです。
皆個性を持つ以上活動の中で意見の対立が起こることは必然でそれ自体が問題ではありません。
問題はそれらをチームとして乗り越えられるかどうかです。
互いがチームという括りの中で一つの大きな目標を持ち、
活動の中で問題として浮き彫りになる不確定な部分については
その都度皆ではっきり意見を主張して話し合い、
最後にはチームコンセプトに則って歩み寄ることで解決し、
意思統一と理想の具体化を重ねていく。
この繰り返しがチームメイト間の信頼を築き、堅固なチームとして成長させることになります。
フットサルの特徴でもある気軽さゆえにノリや勢いでチームを作る人は多いですが
基本が「エンジョイ志向」であれ「競技志向」であれ、
より深くより多くを得たいのであれば”結束”は必要で
より明確に「チーム色」を示すことはチーム内部だけでなく
同じ理想を持つ他のチームとの交流にも役立ち活動の幅を広げてくれることでしょう。
◎詳しくは >> フットサル情報サイト 『 フットサルフリークス 』 [ 過去記事ランキング ]
■vol.63 ゲームを左右するコーチング:選択肢を与えるアドバイス
コーチングとはゲーム中ボールを持たないプレーヤーが
そのプレー的なゆとりや状況を把握しやすい有利な立場を活かして
味方にアドバイスする行為を指します。
その目的は当然「味方の行動を楽にすること/助けること」ですが、
実際はその行為によって味方が苦しんでいる場面を非常によく見かけます。
よくゲームで聞かれる声は
「ダメだ!行くな!」「違う違う!前向けって!」「遅い!」などで
これらには言葉の違いはあっても共通点が見受けられます。
それは「威圧」「命令」「否定」です。
ビギナーレベルではチームメイト間で技量に差が生じるのが普通です。
そのため本来はボール保持者以外の誰もから平等に発生すべき声も
実際には経験の多いものがより技術的に未熟な仲間に対して行う場面の方が
多くなってしまいます。
ボールコントロールに不安を感じるレベルでルックアップできずに
状況把握能力が劣ることは別記事で説明しましたが、
前述のような立場の上の者からの声はボール保持者の
「焦り」と「不安」を煽るばかりで本来のヘルプの役割を果たしません。
そればかりかミスを誘発して個人だけでなくチームへも不利益を与えてしまいます。
さらに当人の選んだ選択に対する否定的な言葉は
その後のプレーに「萎縮」を招いて積極性すら奪っているのが現状です。
技術的、経験的に上にいる立場の人ほど他者の行動を「自分の基準」で判断して
否定的に捉えがちですが、ボール保持者が”その局面で自分ができること”を考え
行動したことを誰であっても否定することはできません。
それをしてしまったら「言われたこと以外するな」と言うようなものです。
コーチングにおいて重要なのは
「自分の考えを押し付けようとしないこと」
そして結果に対しては「相手の行為を受け入れること」です。
コーチングはボール保持者の置かれた局面を
「同じ立場で(=平等に)」捉え「違う視点で」考えて、
打開に必要な本人の見えていない「選択肢」を伝え
自分にあったものを選ばせるのが理想です。
「フリーだよ。前も向ける!」「後ろも下げられるよ!」「右からフォローが行った!」
という言葉でただ選択肢を広げて”ゆとり”を与えてあげればよいのです。
どんな状況であっても”行動を選ぶのは本人”です。
指示する自分には出来ても本人に出来ないなら強制は無意味です。
それを一番理解して行動しようとしているボール保持者に対し
脅迫紛いの口調で迷いを与えては打開できる状況もミスで終わってしまいます。
コーチングは冷静な立場ですべきです。
熱くなり相手の気持ちを無視して言葉を選べなければ目的は果たせません。
なぜなら「〜させよう」とする命令形の言葉は
本人への「焦り」以外でも聞く側にとって「不快」や「反感」を与えます。
これは一つの言葉のコミュニケーションですから
相手に受け入れられなければ”選ばせる”以前に
”伝えること”=選択肢を与えることすら果たせなくなります。
コーチングは戦術的な意味よりもまず
味方に「安心感」を与える声でなくてはなりません。
◎詳しくは >> フットサル情報サイト 『 フットサルフリークス 』 [ 過去記事ランキング ]
そのプレー的なゆとりや状況を把握しやすい有利な立場を活かして
味方にアドバイスする行為を指します。
その目的は当然「味方の行動を楽にすること/助けること」ですが、
実際はその行為によって味方が苦しんでいる場面を非常によく見かけます。
よくゲームで聞かれる声は
「ダメだ!行くな!」「違う違う!前向けって!」「遅い!」などで
これらには言葉の違いはあっても共通点が見受けられます。
それは「威圧」「命令」「否定」です。
ビギナーレベルではチームメイト間で技量に差が生じるのが普通です。
そのため本来はボール保持者以外の誰もから平等に発生すべき声も
実際には経験の多いものがより技術的に未熟な仲間に対して行う場面の方が
多くなってしまいます。
ボールコントロールに不安を感じるレベルでルックアップできずに
状況把握能力が劣ることは別記事で説明しましたが、
前述のような立場の上の者からの声はボール保持者の
「焦り」と「不安」を煽るばかりで本来のヘルプの役割を果たしません。
そればかりかミスを誘発して個人だけでなくチームへも不利益を与えてしまいます。
さらに当人の選んだ選択に対する否定的な言葉は
その後のプレーに「萎縮」を招いて積極性すら奪っているのが現状です。
技術的、経験的に上にいる立場の人ほど他者の行動を「自分の基準」で判断して
否定的に捉えがちですが、ボール保持者が”その局面で自分ができること”を考え
行動したことを誰であっても否定することはできません。
それをしてしまったら「言われたこと以外するな」と言うようなものです。
コーチングにおいて重要なのは
「自分の考えを押し付けようとしないこと」
そして結果に対しては「相手の行為を受け入れること」です。
コーチングはボール保持者の置かれた局面を
「同じ立場で(=平等に)」捉え「違う視点で」考えて、
打開に必要な本人の見えていない「選択肢」を伝え
自分にあったものを選ばせるのが理想です。
「フリーだよ。前も向ける!」「後ろも下げられるよ!」「右からフォローが行った!」
という言葉でただ選択肢を広げて”ゆとり”を与えてあげればよいのです。
どんな状況であっても”行動を選ぶのは本人”です。
指示する自分には出来ても本人に出来ないなら強制は無意味です。
それを一番理解して行動しようとしているボール保持者に対し
脅迫紛いの口調で迷いを与えては打開できる状況もミスで終わってしまいます。
コーチングは冷静な立場ですべきです。
熱くなり相手の気持ちを無視して言葉を選べなければ目的は果たせません。
なぜなら「〜させよう」とする命令形の言葉は
本人への「焦り」以外でも聞く側にとって「不快」や「反感」を与えます。
これは一つの言葉のコミュニケーションですから
相手に受け入れられなければ”選ばせる”以前に
”伝えること”=選択肢を与えることすら果たせなくなります。
コーチングは戦術的な意味よりもまず
味方に「安心感」を与える声でなくてはなりません。
◎詳しくは >> フットサル情報サイト 『 フットサルフリークス 』 [ 過去記事ランキング ]
■vol.60 自らの内に作る敵:驕り(おごり) [追記]
前回文章中に「驕り=自信」と読み取れる個所もあってか
自信を持って積極的にチャレンジする意義を否定するものだ、
自由を奪われ束縛された中でプレーしても楽しくはない、
と受け取られてしまったようですが、そうではないのです。
少々誤解があるようですので今回はそれについて補足させて下さい。
(※ちなみにこのブログは
脱初級者=楽しむだけのフットサルから一つ上を目指す人向けであることが大前提です)
チャレンジする意義については
過去の記事で触れてきたとおり個人・チームの成長には必要なものです。
チームメイトの積極的なプレーを支持しミスに寛容であることは
仲間として信頼関係を築き楽しくボールを蹴るための必要条件でもあります。
しかしその関係はどちらか一方の配慮でなく相互努力があってこそ成り立つものです。
特にボールを持たないプレーヤーの高いサポート意識が問われるフットサルでは
ボール保持者が取り得る行動選択肢の数はチームメイトの努力によって作られます。
つまり各局面においてボール保持者が様々なプレーの可能性を見出せること
そして実際にチャレンジする機会を得られることはすべて
チームメイトの存在あってのことなのです。
ここでその恩恵を受けるボール保持者として忘れてはならないのが
チームメイトの用意した選択肢を選ぶ選ばないと問わず、
その行為の意義をきちんと”受け止める”という行為です。
いくら仲間だからと言ってもサポートする側として
明らかに自分の行為が視野に入っていない、声が届いていないと感じることが多くなれば
感情論抜きに”サポート意欲”を失い
別の機会で必要な一歩を踏み出させなくさせてしまいます。
この場合、
スタンドプレー → 味方のサポートの軽視・無視 → サポート力の低下
→ 行動選択肢の減少 → 挑戦機会の損失 or 強引な行動の誘発 → スタンドプレー...
という悪循環を招きます。
だからと言って誤解して頂きたくないのは
これらが局面を”独力で打開すること”への否定ではないということです。
各局面でいくら味方が選択肢を増やしてくれたと言っても選ぶのは常にボール保持者です。
”自分にとって有効”で、”チームにとって有益”である選択は
本人にしか判断できないのですからそれは当然です。
ただその判断がチームやチームメイトを無視した利己的な思考で導き出された結果だと
チーム内の”仲間のために努力する意識”を減退させて
「味方の支持(精神的支え)」と「サポート(行動的支え)」を得られず
チームとしての戦力低下のみならず、
楽しさの追求にも支障を与えるということが言いたいだけなのです。
「驕り」とは”自信”の冗長部分から生まれるものを指します。
そしてそれに伴う排他的・盲目的な言動は
チームとして活動する以上は本人の”自由”とは明確に区別して問題視すべきです。
なぜなら驕りにより生ずるプレーは総じて”利己的”だからです。
それは時に「盲目的な行動」として
チームメイトの存在意義の軽視からスタンドプレーが先行し、
時に「排他的な行動」として他人のプレーを尊重せずに
攻撃・否定を伴った言動で人を傷つけることすらします。
これらはチームが目指す目的別に考えても
「みんなの力で勝ちたい!」というものに対しては”非効率”ですし、
「みんなで楽しみたい!」というものに対しては方向性すら異なってしまいます。
フットサルを楽しみ追究していけば
いずれは各局面における個人的なプレーよりも
他者との連携にどう絡みどう繋げるのかに
フットサルの奥深さと楽しさを見出せるようになるはずです。
このようなチーム全体の利益を考える段階になったとき
誰もが自身に潜む「驕り」と向き合わなければならなくなるでしょう。
これは学生が社会に出たときに直面するものと同じです。
◎詳しくは >> フットサル情報サイト 『 フットサルフリークス 』 [ 過去記事ランキング ]
自信を持って積極的にチャレンジする意義を否定するものだ、
自由を奪われ束縛された中でプレーしても楽しくはない、
と受け取られてしまったようですが、そうではないのです。
少々誤解があるようですので今回はそれについて補足させて下さい。
(※ちなみにこのブログは
脱初級者=楽しむだけのフットサルから一つ上を目指す人向けであることが大前提です)
チャレンジする意義については
過去の記事で触れてきたとおり個人・チームの成長には必要なものです。
チームメイトの積極的なプレーを支持しミスに寛容であることは
仲間として信頼関係を築き楽しくボールを蹴るための必要条件でもあります。
しかしその関係はどちらか一方の配慮でなく相互努力があってこそ成り立つものです。
特にボールを持たないプレーヤーの高いサポート意識が問われるフットサルでは
ボール保持者が取り得る行動選択肢の数はチームメイトの努力によって作られます。
つまり各局面においてボール保持者が様々なプレーの可能性を見出せること
そして実際にチャレンジする機会を得られることはすべて
チームメイトの存在あってのことなのです。
ここでその恩恵を受けるボール保持者として忘れてはならないのが
チームメイトの用意した選択肢を選ぶ選ばないと問わず、
その行為の意義をきちんと”受け止める”という行為です。
いくら仲間だからと言ってもサポートする側として
明らかに自分の行為が視野に入っていない、声が届いていないと感じることが多くなれば
感情論抜きに”サポート意欲”を失い
別の機会で必要な一歩を踏み出させなくさせてしまいます。
この場合、
スタンドプレー → 味方のサポートの軽視・無視 → サポート力の低下
→ 行動選択肢の減少 → 挑戦機会の損失 or 強引な行動の誘発 → スタンドプレー...
という悪循環を招きます。
だからと言って誤解して頂きたくないのは
これらが局面を”独力で打開すること”への否定ではないということです。
各局面でいくら味方が選択肢を増やしてくれたと言っても選ぶのは常にボール保持者です。
”自分にとって有効”で、”チームにとって有益”である選択は
本人にしか判断できないのですからそれは当然です。
ただその判断がチームやチームメイトを無視した利己的な思考で導き出された結果だと
チーム内の”仲間のために努力する意識”を減退させて
「味方の支持(精神的支え)」と「サポート(行動的支え)」を得られず
チームとしての戦力低下のみならず、
楽しさの追求にも支障を与えるということが言いたいだけなのです。
「驕り」とは”自信”の冗長部分から生まれるものを指します。
そしてそれに伴う排他的・盲目的な言動は
チームとして活動する以上は本人の”自由”とは明確に区別して問題視すべきです。
なぜなら驕りにより生ずるプレーは総じて”利己的”だからです。
それは時に「盲目的な行動」として
チームメイトの存在意義の軽視からスタンドプレーが先行し、
時に「排他的な行動」として他人のプレーを尊重せずに
攻撃・否定を伴った言動で人を傷つけることすらします。
これらはチームが目指す目的別に考えても
「みんなの力で勝ちたい!」というものに対しては”非効率”ですし、
「みんなで楽しみたい!」というものに対しては方向性すら異なってしまいます。
フットサルを楽しみ追究していけば
いずれは各局面における個人的なプレーよりも
他者との連携にどう絡みどう繋げるのかに
フットサルの奥深さと楽しさを見出せるようになるはずです。
このようなチーム全体の利益を考える段階になったとき
誰もが自身に潜む「驕り」と向き合わなければならなくなるでしょう。
これは学生が社会に出たときに直面するものと同じです。
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■vol.59 自らの内に作る敵:驕り(おごり)
同じ未経験者でも初めてフットサルをプレーした際
男性と女性ではその積極性に大きな差があります。
それはお互いフットサルの知識は乏しくとも
男性には特にそれまで少なからず映像で目にし蓄積してきたサッカーの知識があるためで
これがサッカー経験者ともなればさらに顕著に表れます。
しかし皮肉にもこの経験が仇となってゲームで無謀なプレーが多発するのですが、
それがいつまでも繰り返される理由はプレーヤー個人の”内”にあります。
いくらサッカーでのイメージをそのままフットサルにピッチに持ち込む者が多いと言っても
それが10回やって10回失敗すれば、さすがに誰でも自分の手法に疑問を持つはずです。
しかしそれが起こらないのは
チャレンジする機会の多いフットサルにおいて
それぞれの局面で対峙するビギナーの未熟さによって”成功”を経験してしまうためです。
フットサルでは主導権を握る攻撃においても一つ一つのプレーを大事にできなければ
たちまちそれは失点という全く逆の結果を招きかねないスポーツなのですが、
数度のチャンスにおける一つの成功に味をしめ、
自分一人が冒すリスクによってチームが負うマイナス面に気づけないのは
その者の中に「驕り(おごり)」があるためです。
驕りは自分が現在持っている「技術」「知識」「経験」に対する自意識の過剰さ(=自信)から
自らの行動を”正しい”とする思い込みによって生まれます。
客観的に自分の行動を評価できないその「盲目さ」は
結果的に「失敗」と「改善」を経験できず成長ができません。
それはいつまでたっても自分の内面に蓄積したものしか信じられないため、
間違ったものは間違ったままな上、新しい経験を取り込む意義を理解できないからです。
このような”殻に閉じこもったプレーヤー”の殻を割るには
仲間の助言程度では難しく、その者の常識を根底から覆すだけの強い衝撃を
”経験”によって与え、自らが理解することで内側から殻を破らせる以外方法はありませんし
それでなければ意味もないのですが、厄介なのは
そういう者ほど自己満足できる世界にしか身を置かない「井の中の蛙」であるという現実です。
この場合、自己満足できるその者は幸せでいられますが、不幸なのはチームメイトです。
驕りは「自らの肯定」と同時に「他者の否定」を生むため、
チームワークに破綻をきたす原因となるのです。
驕りを生まない為に必要なのは
自分自身で勝手な基準を設けず、目にしたすべての結果を「受け入れる姿勢」です。
例えば、サッカー経験者の自分が行ったパスに対して未経験者のチームメイトが
トラップできなかった場合、主観的な評価で「オレよりずっと経験が浅いから仕方がないな」
と突き放して完結するのではなく、一度自分の中で起こった事実を蓄積し
次に相手の立場に立って客観的に自分の行為を振り返ることで
「パスを少しでも弱めてあげればトラップできたのかもしれない」
と妥協点、改善点を模索すれば次の同じ場面では結果が異なるに違いありません。
また同様に「偏見を持たない」ことも重要です。
現状で持っている技術の差、知識の差だけで仲間を評価していては
それぞれが持つ個性や自分とは異なった視点を持つことのすばらしさに気づけません。
仲間から受ける新しい発見やひらめきによって自らの能力を開拓できれば
共に過ごす時間に比例して試合の対戦相手から学ぶよりずっと多くのものを得られるはずです。
さらに他人の「良さ」を見出せるという行為は
自身の内に受け入れる”ゆとりを作る”≒他人を”尊重できる”ということなので
チーム活動における「協調性」、プレーにおいては「調和力」となってプラスに働くことでしょう。
仲間の為に何ができるかを考え、最大限努力することが結果に繋がるフットサルでは
一個人として出来ることの小ささを知り「驕り」を捨てて仲間と平等になれた者だけが
本当の強さを手にすることができるはずです。
◎詳しくは >> フットサル情報サイト 『 フットサルフリークス 』 [ 過去記事ランキング ]
男性と女性ではその積極性に大きな差があります。
それはお互いフットサルの知識は乏しくとも
男性には特にそれまで少なからず映像で目にし蓄積してきたサッカーの知識があるためで
これがサッカー経験者ともなればさらに顕著に表れます。
しかし皮肉にもこの経験が仇となってゲームで無謀なプレーが多発するのですが、
それがいつまでも繰り返される理由はプレーヤー個人の”内”にあります。
いくらサッカーでのイメージをそのままフットサルにピッチに持ち込む者が多いと言っても
それが10回やって10回失敗すれば、さすがに誰でも自分の手法に疑問を持つはずです。
しかしそれが起こらないのは
チャレンジする機会の多いフットサルにおいて
それぞれの局面で対峙するビギナーの未熟さによって”成功”を経験してしまうためです。
フットサルでは主導権を握る攻撃においても一つ一つのプレーを大事にできなければ
たちまちそれは失点という全く逆の結果を招きかねないスポーツなのですが、
数度のチャンスにおける一つの成功に味をしめ、
自分一人が冒すリスクによってチームが負うマイナス面に気づけないのは
その者の中に「驕り(おごり)」があるためです。
驕りは自分が現在持っている「技術」「知識」「経験」に対する自意識の過剰さ(=自信)から
自らの行動を”正しい”とする思い込みによって生まれます。
客観的に自分の行動を評価できないその「盲目さ」は
結果的に「失敗」と「改善」を経験できず成長ができません。
それはいつまでたっても自分の内面に蓄積したものしか信じられないため、
間違ったものは間違ったままな上、新しい経験を取り込む意義を理解できないからです。
このような”殻に閉じこもったプレーヤー”の殻を割るには
仲間の助言程度では難しく、その者の常識を根底から覆すだけの強い衝撃を
”経験”によって与え、自らが理解することで内側から殻を破らせる以外方法はありませんし
それでなければ意味もないのですが、厄介なのは
そういう者ほど自己満足できる世界にしか身を置かない「井の中の蛙」であるという現実です。
この場合、自己満足できるその者は幸せでいられますが、不幸なのはチームメイトです。
驕りは「自らの肯定」と同時に「他者の否定」を生むため、
チームワークに破綻をきたす原因となるのです。
驕りを生まない為に必要なのは
自分自身で勝手な基準を設けず、目にしたすべての結果を「受け入れる姿勢」です。
例えば、サッカー経験者の自分が行ったパスに対して未経験者のチームメイトが
トラップできなかった場合、主観的な評価で「オレよりずっと経験が浅いから仕方がないな」
と突き放して完結するのではなく、一度自分の中で起こった事実を蓄積し
次に相手の立場に立って客観的に自分の行為を振り返ることで
「パスを少しでも弱めてあげればトラップできたのかもしれない」
と妥協点、改善点を模索すれば次の同じ場面では結果が異なるに違いありません。
また同様に「偏見を持たない」ことも重要です。
現状で持っている技術の差、知識の差だけで仲間を評価していては
それぞれが持つ個性や自分とは異なった視点を持つことのすばらしさに気づけません。
仲間から受ける新しい発見やひらめきによって自らの能力を開拓できれば
共に過ごす時間に比例して試合の対戦相手から学ぶよりずっと多くのものを得られるはずです。
さらに他人の「良さ」を見出せるという行為は
自身の内に受け入れる”ゆとりを作る”≒他人を”尊重できる”ということなので
チーム活動における「協調性」、プレーにおいては「調和力」となってプラスに働くことでしょう。
仲間の為に何ができるかを考え、最大限努力することが結果に繋がるフットサルでは
一個人として出来ることの小ささを知り「驕り」を捨てて仲間と平等になれた者だけが
本当の強さを手にすることができるはずです。
◎詳しくは >> フットサル情報サイト 『 フットサルフリークス 』 [ 過去記事ランキング ]
■vol.58 チームを繋ぐ「優先順位」
ビギナーのゲームではよく
ボールを保持していないプレーヤーがDFを欺き有利なポジションを得た際、
DFに気づかれることなく自分が決定的な位置でボールを受けたいがために
声を出さずに”パスをよこせ”とアピールしている場面を見かけます。
しかし例えここでボール保持者がそれに気づいても
パスは出せずにボールを奪われてしまうことが多いものです。
それはなぜなのでしょうか?
このような場面ではさらに
パスを待っていたプレーヤーがボールを奪われた味方を
非難するかのような態度をよく見ますが、
もし仮にそのプレーヤーがDFが危機を感じる場所で
その存在をアピールすることにもなる「パスを求める声」を出せたなら
パスを警戒してボール保持者に対するDFのプレス量は弱まり
結果は変わっていたに違いありません。
(※別ブログで詳細を書きます)
つまりボールをDFに奪われ攻撃権を失った原因は
ボール保持者の未熟さにあったわけではなく、
自分のことばかり考え、最も厳しい状況におかれている味方の立場を理解できなかった
パスを待つ味方の「優先順位」を誤ったプレーにあるのです。
攻撃にとって最も重要なことは
”決定的な場面を作るまでのチームのボール保持”であり
「全員による全力でボールを繋げる努力」です。
例のような先を見過ぎて”今できること”、”今しかできないこと”を
見誤るのはビギナーにはありがちなことですが、
その過ちを犯した者による不愉快な態度は
連携の「鎖」だけでなくチームの信頼の「鎖」をも
断ち切りゲームそのものを成り立たせなくしてしまう危険性があります。
ビギナーは常にチームメイト一人一人の立場になって
お互いの未熟さを補い合うことで粘り強くチャンスを作り上げなければなりません。
そして状況判断に必要な行動の「優先順位(プライオリティ)」は
”自分(個人)”ではなく”チーム”の利益をもとに
考えなければならないことを忘れずにいましょう。
◎詳しくは >> フットサル情報サイト 『 フットサルフリークス 』 [ 過去記事ランキング ]
ボールを保持していないプレーヤーがDFを欺き有利なポジションを得た際、
DFに気づかれることなく自分が決定的な位置でボールを受けたいがために
声を出さずに”パスをよこせ”とアピールしている場面を見かけます。
しかし例えここでボール保持者がそれに気づいても
パスは出せずにボールを奪われてしまうことが多いものです。
それはなぜなのでしょうか?
このような場面ではさらに
パスを待っていたプレーヤーがボールを奪われた味方を
非難するかのような態度をよく見ますが、
もし仮にそのプレーヤーがDFが危機を感じる場所で
その存在をアピールすることにもなる「パスを求める声」を出せたなら
パスを警戒してボール保持者に対するDFのプレス量は弱まり
結果は変わっていたに違いありません。
(※別ブログで詳細を書きます)
つまりボールをDFに奪われ攻撃権を失った原因は
ボール保持者の未熟さにあったわけではなく、
自分のことばかり考え、最も厳しい状況におかれている味方の立場を理解できなかった
パスを待つ味方の「優先順位」を誤ったプレーにあるのです。
攻撃にとって最も重要なことは
”決定的な場面を作るまでのチームのボール保持”であり
「全員による全力でボールを繋げる努力」です。
例のような先を見過ぎて”今できること”、”今しかできないこと”を
見誤るのはビギナーにはありがちなことですが、
その過ちを犯した者による不愉快な態度は
連携の「鎖」だけでなくチームの信頼の「鎖」をも
断ち切りゲームそのものを成り立たせなくしてしまう危険性があります。
ビギナーは常にチームメイト一人一人の立場になって
お互いの未熟さを補い合うことで粘り強くチャンスを作り上げなければなりません。
そして状況判断に必要な行動の「優先順位(プライオリティ)」は
”自分(個人)”ではなく”チーム”の利益をもとに
考えなければならないことを忘れずにいましょう。
◎詳しくは >> フットサル情報サイト 『 フットサルフリークス 』 [ 過去記事ランキング ]
■vol.57 個人の成長を促すもの奪うもの
ビギナーの上達に必要なものはなんでしょう?
いくつかありますが、非常に重要なのは「環境」です。
そしてこれから説明する意味からすればこれは「仲間」とも言い換えられます。
プレーヤーの立場で用いる「ビギナー」の定義とは
大会参加基準に用いられる
”始めて間もない人”という「経験・期間的」な指標よりも
”相対的に技術の未熟な者”という「技術レベル」判断されるのが一般的です。
相対的と言っているのはつまり絶対的基準で”どこまでがビギナー”というものがなく
他人との「比較」によって”未熟”と判断されるレベルを指すためです。
今回ビギナーの成長を考えるにあたり注目したいのはまさにその”他人”の存在になります。
説明したレベル判断基準が証明しているように
ビギナーは常に技術の不安から他人に”引け目”を感じてプレーが小さく消極的になるものです。
しかし成長に必要なのは「挑戦」「失敗」「改善」そして「蓄積」という
『経験』であることを考えれば、”やらない”ことで伸びる力は一つもありません。
よってプレーヤー自身がミスを恐れてはいけない以上に
チームはミスを恐れる原因である”責任を感じさせる環境”を作ってはいけないことになります。
フットサルがどれだけ高いチームプレーを必要とするスポーツかを知れば
味方への許容と理解とで生まれる信頼関係こそが大切だと容易に理解もできるはずです。
しかし技術以上にチームそのものが未成熟なビギナーチームでは
往々にしてミスの叱責や心無い態度から
ゲームで”機能しない人間”を作り出してしまうものです。
これはやれることの少ない人からさらに”やれること”を奪って
ピッチに存在できる場所さえも奪うチームメイトにあるまじき卑劣な行為です。
このことから勝敗を左右するチームの持てる力=チーム力は
「技術の未熟な者」が落とすのではなく普段から互いを高め合う意義とその方法を知らない
「調和を奪う者」の手によって落とされるのだということもわかるはずです。
全員のプレーが密接に関連し影響しあって成立するフットサルにおいて
非難の対象としたミスに「自分が無関係だった」とする言動は
”自分にやれた何か”を考えることすら放棄して
ミスの責任を他人だけに押し付ける「責任転嫁」でしかありません。
徹底して味方を支える意識とその技術を問われるフットサルにおいて
自らその過ちに気づけない限りその者の成長は有り得ないとも言えるでしょう。
上でゲームにおける「ミスできる環境」と表現したものは
実際には活動すべてにおけるチームメイト=仲間との「信頼関係」の一部に過ぎません。
個人の成長は”仲間と尊重し合える関係”から生まれ
”仲間の為に努力する意識”によって最大限の成果を期待できますが、
それをゼロにもマイナスにもできるのもまた「仲間」なのです。
個人の成長はチームの成長。
仲間の存在は切磋琢磨するには不可欠な要素ですが、
チームメイトがその恩恵を理解して行動できるかが
チームの将来像を大きく左右することになるでしょう。
◎詳しくは >> フットサル情報サイト 『 フットサルフリークス 』 [ 過去記事ランキング ]
いくつかありますが、非常に重要なのは「環境」です。
そしてこれから説明する意味からすればこれは「仲間」とも言い換えられます。
プレーヤーの立場で用いる「ビギナー」の定義とは
大会参加基準に用いられる
”始めて間もない人”という「経験・期間的」な指標よりも
”相対的に技術の未熟な者”という「技術レベル」判断されるのが一般的です。
相対的と言っているのはつまり絶対的基準で”どこまでがビギナー”というものがなく
他人との「比較」によって”未熟”と判断されるレベルを指すためです。
今回ビギナーの成長を考えるにあたり注目したいのはまさにその”他人”の存在になります。
説明したレベル判断基準が証明しているように
ビギナーは常に技術の不安から他人に”引け目”を感じてプレーが小さく消極的になるものです。
しかし成長に必要なのは「挑戦」「失敗」「改善」そして「蓄積」という
『経験』であることを考えれば、”やらない”ことで伸びる力は一つもありません。
よってプレーヤー自身がミスを恐れてはいけない以上に
チームはミスを恐れる原因である”責任を感じさせる環境”を作ってはいけないことになります。
フットサルがどれだけ高いチームプレーを必要とするスポーツかを知れば
味方への許容と理解とで生まれる信頼関係こそが大切だと容易に理解もできるはずです。
しかし技術以上にチームそのものが未成熟なビギナーチームでは
往々にしてミスの叱責や心無い態度から
ゲームで”機能しない人間”を作り出してしまうものです。
これはやれることの少ない人からさらに”やれること”を奪って
ピッチに存在できる場所さえも奪うチームメイトにあるまじき卑劣な行為です。
このことから勝敗を左右するチームの持てる力=チーム力は
「技術の未熟な者」が落とすのではなく普段から互いを高め合う意義とその方法を知らない
「調和を奪う者」の手によって落とされるのだということもわかるはずです。
全員のプレーが密接に関連し影響しあって成立するフットサルにおいて
非難の対象としたミスに「自分が無関係だった」とする言動は
”自分にやれた何か”を考えることすら放棄して
ミスの責任を他人だけに押し付ける「責任転嫁」でしかありません。
徹底して味方を支える意識とその技術を問われるフットサルにおいて
自らその過ちに気づけない限りその者の成長は有り得ないとも言えるでしょう。
上でゲームにおける「ミスできる環境」と表現したものは
実際には活動すべてにおけるチームメイト=仲間との「信頼関係」の一部に過ぎません。
個人の成長は”仲間と尊重し合える関係”から生まれ
”仲間の為に努力する意識”によって最大限の成果を期待できますが、
それをゼロにもマイナスにもできるのもまた「仲間」なのです。
個人の成長はチームの成長。
仲間の存在は切磋琢磨するには不可欠な要素ですが、
チームメイトがその恩恵を理解して行動できるかが
チームの将来像を大きく左右することになるでしょう。
◎詳しくは >> フットサル情報サイト 『 フットサルフリークス 』 [ 過去記事ランキング ]
■vol.47 フットサルの魅力:「One for All, All for One」
”みんなは一人のために、一人はみんなのために” という意味です。
ラグビーでよく使われる言葉だということなので知っている方も多いと思いますが、
フットサルにこれほど相応しい言葉は他に見つかりません。
狭く密度濃いコートで得点を目指し、ゴールを守らなければならないフットサルほど
一人の力の無力さを思い知るものはないでしょう。
それは独力でボールを前に進めることの困難さを知れば誰もが理解できる事実です。
このことからフットサルは如何に
「数的有利を作り」「数的不利を作らないか」
を突き詰めていくスポーツだということがわかりますが、
それには当然
”チームが一人の落伍者を出すことなくゲームを最後まで戦い抜くこと”
という大前提を全員が理解していなければなりません。
ピッチに立てば誰もが戦力です。
それは技術力云々ではなく数的有利/不利を考える上で必要不可欠な要素なのです。
ビギナーのゲームではよく、味方の援護を全く視野に入れず突破のドリブルを選び得点した時、
”自分の力だけでゴールした”かのように周囲にアピールしたり
当然だ、とでも言わんばかりの態度を示す光景を目にしますが、
もしピッチ上に味方のいない1人対5人の状況でも同様の結果に至ったかを考えれば
まずはサポートに入った仲間への感謝を示し共に喜ぶべきです。
失点もまたその過程に無関係なプレーヤーなどいるはずがないのですから
誰かの責任を問うことなどできるはずがありません。
このようにフットサルは一つの得点も失点も全員が共有できるスポーツです。
一人のために他の全員が”自分にできるすべて”を注ぐからこそ
起こるすべての瞬間を仲間として共有し、
どのような結果であってもそれを受け止め、次への一歩を共に踏み出すことができるのです。
「自分が誰かを支え、誰かが自分を支えてくれている」
経験や技術力など関係なく、
”ピッチに立ったら互いは平等に助け合って存在している”ことを理解すれば
エンジョイ志向チームが一体感、充実感を大切に守りながらも
高度な技術、チームとしての結果を求めることは可能になります。
一人一人に技術力があっても、起こる局面すべてを個人技主体で打開しようとするチームが
フットサルの精神を持つチームに勝つことはできません。
これこそフットサルが「力」だけでは勝てない理由であり、最大の醍醐味なのです。
◎詳しくは >> フットサル情報サイト 『 フットサルフリークス 』 [ 過去記事ランキング ]
ラグビーでよく使われる言葉だということなので知っている方も多いと思いますが、
フットサルにこれほど相応しい言葉は他に見つかりません。
狭く密度濃いコートで得点を目指し、ゴールを守らなければならないフットサルほど
一人の力の無力さを思い知るものはないでしょう。
それは独力でボールを前に進めることの困難さを知れば誰もが理解できる事実です。
このことからフットサルは如何に
「数的有利を作り」「数的不利を作らないか」
を突き詰めていくスポーツだということがわかりますが、
それには当然
”チームが一人の落伍者を出すことなくゲームを最後まで戦い抜くこと”
という大前提を全員が理解していなければなりません。
ピッチに立てば誰もが戦力です。
それは技術力云々ではなく数的有利/不利を考える上で必要不可欠な要素なのです。
ビギナーのゲームではよく、味方の援護を全く視野に入れず突破のドリブルを選び得点した時、
”自分の力だけでゴールした”かのように周囲にアピールしたり
当然だ、とでも言わんばかりの態度を示す光景を目にしますが、
もしピッチ上に味方のいない1人対5人の状況でも同様の結果に至ったかを考えれば
まずはサポートに入った仲間への感謝を示し共に喜ぶべきです。
失点もまたその過程に無関係なプレーヤーなどいるはずがないのですから
誰かの責任を問うことなどできるはずがありません。
このようにフットサルは一つの得点も失点も全員が共有できるスポーツです。
一人のために他の全員が”自分にできるすべて”を注ぐからこそ
起こるすべての瞬間を仲間として共有し、
どのような結果であってもそれを受け止め、次への一歩を共に踏み出すことができるのです。
「自分が誰かを支え、誰かが自分を支えてくれている」
経験や技術力など関係なく、
”ピッチに立ったら互いは平等に助け合って存在している”ことを理解すれば
エンジョイ志向チームが一体感、充実感を大切に守りながらも
高度な技術、チームとしての結果を求めることは可能になります。
一人一人に技術力があっても、起こる局面すべてを個人技主体で打開しようとするチームが
フットサルの精神を持つチームに勝つことはできません。
これこそフットサルが「力」だけでは勝てない理由であり、最大の醍醐味なのです。
◎詳しくは >> フットサル情報サイト 『 フットサルフリークス 』 [ 過去記事ランキング ]
■vol.44 士気の維持:「信頼=挫けない力」
フットサルは多くの球技と同じ得点を競います。
当然失点は避けなければなりませんが「失点=負け」ではありません。
フットサルはその特徴上、得点の可能性も高い代わりに失点もし易いスポーツです。
これは上級者チームと言えど例外ではなく、
どんな強固な守備を誇っても些細な原因での失点はあり得るのです。
よって特に失点し易いビギナーチームが取り組む優先課題は
「絶対に失点しない」手法の確立よりも
「失点したあとも戦力を維持する」重要性への理解だと言えます。
しかしこれに反してビギナーチームの多くは
失点を取り戻せる実力は持ちながらも技術以上にチームワークが未発達であるが故に
チームメイト間の心無い一言で些細な亀裂が生じたり、心が挫けたりして
試合終了を待たずに負けを決定づける場合が少なくありません。
失点はGKひとりの責任ではありません。
もちろんそれを他の誰かの責任にしてもいけません。
フットサルは全員が攻め、全員が守るスポーツである以上は失点の責任は全員にあります。
だからこそ「責任がどこにあるか」「何がいけなかったのか」などという
後ろ向きで無意味な言い争いをする状況はもちろん
誰かが責任を感じてうなだれてしまう状況も作ってはいけません。
フットサルは攻守の入れ替えが激しく、一人でも失点を引きずって
気持ちの切り替えができていない、注意力が足りていないなどで機能していなければ
たちまち数的不利を作るなど相手にペースを握られ追加点を許してしまうことになります。
それこそが「敗北」に繋がる致命的なミスです。
”士気を維持する力=挫けない力”は
それまでの活動でどれだけ仲間同士が喜び合い、称え合い、励まし支え合ってきたか
その築き上げた「信頼関係」の強さに比例します。
楽しいとき、苦しいとき、同じ時間と気持ちを共有してきた仲間であれば
どんな窮地に立たされても「自分一人が諦める=逃げる」ことなどしないはずなのです。
”まだやれる!”
そう思えるのは仲間への信頼の証であり、どんな逆境にも可能性を見出せる唯一の力です。
「仲間=チーム」を大切に思う気持ちは必ずチームを強くもしてくれることでしょう。
◎詳しくは >> フットサル情報サイト 『 フットサルフリークス 』 [ 過去記事ランキング ]
当然失点は避けなければなりませんが「失点=負け」ではありません。
フットサルはその特徴上、得点の可能性も高い代わりに失点もし易いスポーツです。
これは上級者チームと言えど例外ではなく、
どんな強固な守備を誇っても些細な原因での失点はあり得るのです。
よって特に失点し易いビギナーチームが取り組む優先課題は
「絶対に失点しない」手法の確立よりも
「失点したあとも戦力を維持する」重要性への理解だと言えます。
しかしこれに反してビギナーチームの多くは
失点を取り戻せる実力は持ちながらも技術以上にチームワークが未発達であるが故に
チームメイト間の心無い一言で些細な亀裂が生じたり、心が挫けたりして
試合終了を待たずに負けを決定づける場合が少なくありません。
失点はGKひとりの責任ではありません。
もちろんそれを他の誰かの責任にしてもいけません。
フットサルは全員が攻め、全員が守るスポーツである以上は失点の責任は全員にあります。
だからこそ「責任がどこにあるか」「何がいけなかったのか」などという
後ろ向きで無意味な言い争いをする状況はもちろん
誰かが責任を感じてうなだれてしまう状況も作ってはいけません。
フットサルは攻守の入れ替えが激しく、一人でも失点を引きずって
気持ちの切り替えができていない、注意力が足りていないなどで機能していなければ
たちまち数的不利を作るなど相手にペースを握られ追加点を許してしまうことになります。
それこそが「敗北」に繋がる致命的なミスです。
”士気を維持する力=挫けない力”は
それまでの活動でどれだけ仲間同士が喜び合い、称え合い、励まし支え合ってきたか
その築き上げた「信頼関係」の強さに比例します。
楽しいとき、苦しいとき、同じ時間と気持ちを共有してきた仲間であれば
どんな窮地に立たされても「自分一人が諦める=逃げる」ことなどしないはずなのです。
”まだやれる!”
そう思えるのは仲間への信頼の証であり、どんな逆境にも可能性を見出せる唯一の力です。
「仲間=チーム」を大切に思う気持ちは必ずチームを強くもしてくれることでしょう。
◎詳しくは >> フットサル情報サイト 『 フットサルフリークス 』 [ 過去記事ランキング ]
■vol.32 調和力 :「強さ」と「楽しさ」を得る力
”全体がほどよくつりあって、矛盾や衝突などがなく、まとまっていること”(Yahoo!調べ)
vol.31で触れた「調和力」を補足します。
当サイト「フットサルフリークス」の脱・初級者向けコラム「フットサル≠ミニサッカー」
の中でも個人に必要とされる力として紹介していますが、
(http://www.futsalfreaks.net/30_column/03/column3_p05.htm)
フットサルは「エンジョイ」の”楽しさ”であれ「競技志向」の”勝ち負け”であれ、
自分達が望む結果を得たいならば
選手同士が互いの存在を尊重した協調性あるプレーは必須となります。
なぜならフットサルでは攻守共に
そこに直面したチームメイト間でどのような技術、経験の差があろうとも
互いのプレーが結び付かなくては局面を打開できずゲームが成り立たないためです。
セレクションで選手を集めるチームや選り抜きの代表チームでなければ
総じてどのチームにも選手格差は生まれます。
そのためゲームでどれだけお互い調和できたか、シンクロできたかが
プレーのクオリティを決定づけることにもなります。
互いのプレーの結びつき=連携は
個々が持つ技術力が高いからといって必ずしも”ベスト”な結果に繋がるとは限りません。
なぜなら連携とは互いの判断、クセ、技術力、様々な要素を最大限配慮した行動でなければ
それ自体が成り立たないためです。
よって技術に溺れ、無駄にテクニックをひけらかすだけの選手、
常に自分本位で無配慮なプレーしかできない選手との連携は成立しにくいわけです。
さらにこれら選手ほど無意味な自信を持っているため
その都度自分のプレーを省みず、連携の失敗の原因を相手の技術的未熟さに求めて
責任逃れをし修正しないことがほとんどです。
vol.31で既に述べているように「失敗の責任の共有」と「歩み寄り」がなければ
如何なるプレーも調和できず、向上もしません。
個人の力でゲームが成立しないフットサルにおいて
一流のプレーヤーとは ”チーム力を高められる選手” を指します。
それは献身的であるが故、全く目立つことなく終わるかもしれません。
しかし他者より秀でた余る力を誇示する目的で使わず、
チームメイトの未熟さを補い負担を減らす為に用いる者、
つまり ”自分が相手に合わせる=同調させる” ことで
チームのミスを減らし、自信を与えてチームメイトの力を最大限引き出すことのできる者こそ
真の調和力を持つ「一流プレーヤー」だと言えます。
調和力とは如何なる状況にある如何なるチームにも素早く溶け込み
歯車となることでチームに貢献できる力であるがゆえ
・チームメイトのクセや力量を見抜く「洞察力」
・如何なる状況でも自分が合わせられる「柔軟性」「応用力」
を必要とします。
難しいことのように聞こえますが、
一度意識できればあとは日々の積み重ねで確実に向上します。
また調和力はある程度身につけばどの場所、どのチーム、どの場面でもコンスタントに
能力を発揮することが可能になり、
チームメイトに女性や初心者が加わったり、
個人フットサルのようなその都度メンバーの変わるゲームであっても
チームとしての一体感や達成感を共有しつつ最大限の成果を追求できるようになります。
これは技術の向上以上にフットサルライフを幅広くいつまでも楽しんでいくために
最も必要となる力と言えるでしょう。
◎詳しくは >> フットサル情報サイト 『 フットサルフリークス 』 [ 過去記事ランキング ]
vol.31で触れた「調和力」を補足します。
当サイト「フットサルフリークス」の脱・初級者向けコラム「フットサル≠ミニサッカー」
の中でも個人に必要とされる力として紹介していますが、
(http://www.futsalfreaks.net/30_column/03/column3_p05.htm)
フットサルは「エンジョイ」の”楽しさ”であれ「競技志向」の”勝ち負け”であれ、
自分達が望む結果を得たいならば
選手同士が互いの存在を尊重した協調性あるプレーは必須となります。
なぜならフットサルでは攻守共に
そこに直面したチームメイト間でどのような技術、経験の差があろうとも
互いのプレーが結び付かなくては局面を打開できずゲームが成り立たないためです。
セレクションで選手を集めるチームや選り抜きの代表チームでなければ
総じてどのチームにも選手格差は生まれます。
そのためゲームでどれだけお互い調和できたか、シンクロできたかが
プレーのクオリティを決定づけることにもなります。
互いのプレーの結びつき=連携は
個々が持つ技術力が高いからといって必ずしも”ベスト”な結果に繋がるとは限りません。
なぜなら連携とは互いの判断、クセ、技術力、様々な要素を最大限配慮した行動でなければ
それ自体が成り立たないためです。
よって技術に溺れ、無駄にテクニックをひけらかすだけの選手、
常に自分本位で無配慮なプレーしかできない選手との連携は成立しにくいわけです。
さらにこれら選手ほど無意味な自信を持っているため
その都度自分のプレーを省みず、連携の失敗の原因を相手の技術的未熟さに求めて
責任逃れをし修正しないことがほとんどです。
vol.31で既に述べているように「失敗の責任の共有」と「歩み寄り」がなければ
如何なるプレーも調和できず、向上もしません。
個人の力でゲームが成立しないフットサルにおいて
一流のプレーヤーとは ”チーム力を高められる選手” を指します。
それは献身的であるが故、全く目立つことなく終わるかもしれません。
しかし他者より秀でた余る力を誇示する目的で使わず、
チームメイトの未熟さを補い負担を減らす為に用いる者、
つまり ”自分が相手に合わせる=同調させる” ことで
チームのミスを減らし、自信を与えてチームメイトの力を最大限引き出すことのできる者こそ
真の調和力を持つ「一流プレーヤー」だと言えます。
調和力とは如何なる状況にある如何なるチームにも素早く溶け込み
歯車となることでチームに貢献できる力であるがゆえ
・チームメイトのクセや力量を見抜く「洞察力」
・如何なる状況でも自分が合わせられる「柔軟性」「応用力」
を必要とします。
難しいことのように聞こえますが、
一度意識できればあとは日々の積み重ねで確実に向上します。
また調和力はある程度身につけばどの場所、どのチーム、どの場面でもコンスタントに
能力を発揮することが可能になり、
チームメイトに女性や初心者が加わったり、
個人フットサルのようなその都度メンバーの変わるゲームであっても
チームとしての一体感や達成感を共有しつつ最大限の成果を追求できるようになります。
これは技術の向上以上にフットサルライフを幅広くいつまでも楽しんでいくために
最も必要となる力と言えるでしょう。
◎詳しくは >> フットサル情報サイト 『 フットサルフリークス 』 [ 過去記事ランキング ]


