■vol.59 自らの内に作る敵:驕り(おごり)
同じ未経験者でも初めてフットサルをプレーした際
男性と女性ではその積極性に大きな差があります。
それはお互いフットサルの知識は乏しくとも
男性には特にそれまで少なからず映像で目にし蓄積してきたサッカーの知識があるためで
これがサッカー経験者ともなればさらに顕著に表れます。
しかし皮肉にもこの経験が仇となってゲームで無謀なプレーが多発するのですが、
それがいつまでも繰り返される理由はプレーヤー個人の”内”にあります。
いくらサッカーでのイメージをそのままフットサルにピッチに持ち込む者が多いと言っても
それが10回やって10回失敗すれば、さすがに誰でも自分の手法に疑問を持つはずです。
しかしそれが起こらないのは
チャレンジする機会の多いフットサルにおいて
それぞれの局面で対峙するビギナーの未熟さによって”成功”を経験してしまうためです。
フットサルでは主導権を握る攻撃においても一つ一つのプレーを大事にできなければ
たちまちそれは失点という全く逆の結果を招きかねないスポーツなのですが、
数度のチャンスにおける一つの成功に味をしめ、
自分一人が冒すリスクによってチームが負うマイナス面に気づけないのは
その者の中に「驕り(おごり)」があるためです。
驕りは自分が現在持っている「技術」「知識」「経験」に対する自意識の過剰さ(=自信)から
自らの行動を”正しい”とする思い込みによって生まれます。
客観的に自分の行動を評価できないその「盲目さ」は
結果的に「失敗」と「改善」を経験できず成長ができません。
それはいつまでたっても自分の内面に蓄積したものしか信じられないため、
間違ったものは間違ったままな上、新しい経験を取り込む意義を理解できないからです。
このような”殻に閉じこもったプレーヤー”の殻を割るには
仲間の助言程度では難しく、その者の常識を根底から覆すだけの強い衝撃を
”経験”によって与え、自らが理解することで内側から殻を破らせる以外方法はありませんし
それでなければ意味もないのですが、厄介なのは
そういう者ほど自己満足できる世界にしか身を置かない「井の中の蛙」であるという現実です。
この場合、自己満足できるその者は幸せでいられますが、不幸なのはチームメイトです。
驕りは「自らの肯定」と同時に「他者の否定」を生むため、
チームワークに破綻をきたす原因となるのです。
驕りを生まない為に必要なのは
自分自身で勝手な基準を設けず、目にしたすべての結果を「受け入れる姿勢」です。
例えば、サッカー経験者の自分が行ったパスに対して未経験者のチームメイトが
トラップできなかった場合、主観的な評価で「オレよりずっと経験が浅いから仕方がないな」
と突き放して完結するのではなく、一度自分の中で起こった事実を蓄積し
次に相手の立場に立って客観的に自分の行為を振り返ることで
「パスを少しでも弱めてあげればトラップできたのかもしれない」
と妥協点、改善点を模索すれば次の同じ場面では結果が異なるに違いありません。
また同様に「偏見を持たない」ことも重要です。
現状で持っている技術の差、知識の差だけで仲間を評価していては
それぞれが持つ個性や自分とは異なった視点を持つことのすばらしさに気づけません。
仲間から受ける新しい発見やひらめきによって自らの能力を開拓できれば
共に過ごす時間に比例して試合の対戦相手から学ぶよりずっと多くのものを得られるはずです。
さらに他人の「良さ」を見出せるという行為は
自身の内に受け入れる”ゆとりを作る”≒他人を”尊重できる”ということなので
チーム活動における「協調性」、プレーにおいては「調和力」となってプラスに働くことでしょう。
仲間の為に何ができるかを考え、最大限努力することが結果に繋がるフットサルでは
一個人として出来ることの小ささを知り「驕り」を捨てて仲間と平等になれた者だけが
本当の強さを手にすることができるはずです。
◎詳しくは >> フットサル情報サイト 『 フットサルフリークス 』 [ 過去記事ランキング ]
男性と女性ではその積極性に大きな差があります。
それはお互いフットサルの知識は乏しくとも
男性には特にそれまで少なからず映像で目にし蓄積してきたサッカーの知識があるためで
これがサッカー経験者ともなればさらに顕著に表れます。
しかし皮肉にもこの経験が仇となってゲームで無謀なプレーが多発するのですが、
それがいつまでも繰り返される理由はプレーヤー個人の”内”にあります。
いくらサッカーでのイメージをそのままフットサルにピッチに持ち込む者が多いと言っても
それが10回やって10回失敗すれば、さすがに誰でも自分の手法に疑問を持つはずです。
しかしそれが起こらないのは
チャレンジする機会の多いフットサルにおいて
それぞれの局面で対峙するビギナーの未熟さによって”成功”を経験してしまうためです。
フットサルでは主導権を握る攻撃においても一つ一つのプレーを大事にできなければ
たちまちそれは失点という全く逆の結果を招きかねないスポーツなのですが、
数度のチャンスにおける一つの成功に味をしめ、
自分一人が冒すリスクによってチームが負うマイナス面に気づけないのは
その者の中に「驕り(おごり)」があるためです。
驕りは自分が現在持っている「技術」「知識」「経験」に対する自意識の過剰さ(=自信)から
自らの行動を”正しい”とする思い込みによって生まれます。
客観的に自分の行動を評価できないその「盲目さ」は
結果的に「失敗」と「改善」を経験できず成長ができません。
それはいつまでたっても自分の内面に蓄積したものしか信じられないため、
間違ったものは間違ったままな上、新しい経験を取り込む意義を理解できないからです。
このような”殻に閉じこもったプレーヤー”の殻を割るには
仲間の助言程度では難しく、その者の常識を根底から覆すだけの強い衝撃を
”経験”によって与え、自らが理解することで内側から殻を破らせる以外方法はありませんし
それでなければ意味もないのですが、厄介なのは
そういう者ほど自己満足できる世界にしか身を置かない「井の中の蛙」であるという現実です。
この場合、自己満足できるその者は幸せでいられますが、不幸なのはチームメイトです。
驕りは「自らの肯定」と同時に「他者の否定」を生むため、
チームワークに破綻をきたす原因となるのです。
驕りを生まない為に必要なのは
自分自身で勝手な基準を設けず、目にしたすべての結果を「受け入れる姿勢」です。
例えば、サッカー経験者の自分が行ったパスに対して未経験者のチームメイトが
トラップできなかった場合、主観的な評価で「オレよりずっと経験が浅いから仕方がないな」
と突き放して完結するのではなく、一度自分の中で起こった事実を蓄積し
次に相手の立場に立って客観的に自分の行為を振り返ることで
「パスを少しでも弱めてあげればトラップできたのかもしれない」
と妥協点、改善点を模索すれば次の同じ場面では結果が異なるに違いありません。
また同様に「偏見を持たない」ことも重要です。
現状で持っている技術の差、知識の差だけで仲間を評価していては
それぞれが持つ個性や自分とは異なった視点を持つことのすばらしさに気づけません。
仲間から受ける新しい発見やひらめきによって自らの能力を開拓できれば
共に過ごす時間に比例して試合の対戦相手から学ぶよりずっと多くのものを得られるはずです。
さらに他人の「良さ」を見出せるという行為は
自身の内に受け入れる”ゆとりを作る”≒他人を”尊重できる”ということなので
チーム活動における「協調性」、プレーにおいては「調和力」となってプラスに働くことでしょう。
仲間の為に何ができるかを考え、最大限努力することが結果に繋がるフットサルでは
一個人として出来ることの小ささを知り「驕り」を捨てて仲間と平等になれた者だけが
本当の強さを手にすることができるはずです。
◎詳しくは >> フットサル情報サイト 『 フットサルフリークス 』 [ 過去記事ランキング ]
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